
ちょっとした空き時間や待ち時間、テレビのCMの間、あるいは信号待ちのわずかな時間に、無意識にスマートフォンを触っていませんか? 私たちは、自分が思っている以上に「何気ない時間」をスマートフォンに差し出しているんです。
最近、YouTubeでデジタルデトックスを体験した人の動画を見て、「自分も一度、試してみようかな」と思い立ちました。とはいえ、スマホを完全に封印したり、今さらガラケーに戻したりといった極端なことはしたくありません。
そこで、自分なりにハードルを下げて、以下の3つの設定で、「プチ・デトックス」を試してみました。
- 通知の厳選: メールやSNS、ショッピングアプリの通知をすべてオフにします。カレンダーや緊急のメッセージなどは通知を残しました。
- 「バッジ」の非表示: 通知をオフにするだけでなく、アイコン右上の「未読数」も出ないようにしました。
- SNSアプリの削除: X(Twitter)やFacebook、InstagramをiPhoneから削除。SNSは「パソコンから見る」と決めました(YouTubeとニュースアプリは残しました)。
私は自他共に認める「iPhone信者」で、iPhone 3GやApple Watchが日本に上陸した時には、すぐに購入して常に身につけているヘビーユーザーです。正直、始める前は「自分は、スマホの通知に振り回されている感覚なんてないし、それほどSNSに依存しているわけでもないので、あまり生活は変わらないだろう」とたかをくくっていました。
しかし、2週間ほど続けてみたところ、自分では思っていなかった、意外なことが見えてきたのです。
気づき①:「一瞬のチラ見」が、実は集中力を削っていた
一番大きな変化は、メールの「通知」と「未読バッジ」を消したことによるものです。 これまで、通販サイトからのメールや、アプリからのお知らせの通知が届くたびに、Apple Watchをチラッと見たり、スマホの画面を確認したりしていました。もちろん、作業を中断することはなく、ほんの一瞬、目をやるだけです。 しかし、その「一瞬」によって、実は集中力がプツプツと分断されていたことに気づきました。

また、スマホのホーム画面にメールの未読数が赤い数字(バッジ)で表示されていると、それだけで「早く処理しなきゃ」という気持ちにさせられます。無意識のうちにアイコンをクリックしてメールを片付けたくなる、あの小さなプレッシャーが、実は、集中力を妨げる大きなノイズになっていたのです。
今では、昼休みや夕方にまとめてメールアプリを開き、自分が処理したいタイミングでメールを処理しています。メールの処理や返信が夕方になっても、全く問題はありませんでした。むしろ、メールが10通届いているのを見て、「これまで、通知のたびに、作業を何度も中断させられていたんだな」 と、その回数の多さにびっくりしています。
1回の通知チェックやアーカイブ作業は、時間にしてわずか数秒〜10秒ほどのことですが、その「小さな中断」が完全になくなったことで、目の前の作業により深く、静かな気持ちで取り組めるようになった感覚があります。これは私にとって大きな収穫でした。

気づき②:「手持ち無沙汰」という感覚の再発見
SNSアプリを消した当初は、無意識に指がアプリを探してしまうことが何度もありました。ところが、その習慣が落ち着いてくると、生活の中に「空白の時間」がポコポコと現れ始めました。 駅のホームでの待ち時間、仕事の合間にお茶を飲んでいる時間などです。
なかでも驚いたのは、信号待ちのわずかな時間でした。今までは、赤信号になった瞬間に、反射的にポケットへ手が伸びていたのです。それに気づいたとき、「自分はそこまで無意識にスマホを使っていたのか」と、少しあきれてしまいました。

今では、移動中にスマホを上着のポケットではなく、カバンの中に入れて持ち運ぶようになりました。
とはいえ、空白の時間ができたからといって、すぐに人生が劇的に豊かになった……とまでは言えません。ただ最近は、お茶を飲みながらぼんやりしたり、メモ帳を開いて頭の中を整理したり、あるいは飼い猫の頭を撫でたりする時間が増えました。そうした「何もしない時間」を受け入れられるようになると、以前よりも心がほっとするような、本来の静けさを取り戻しつつあるように感じます。
気づき③:時間の「主導権」を取り戻す
これまで、ちょっとした隙間時間にニュースやSNSをチェックすることは、「ITツールを活用した効率的な情報収集」だと考えていました。
しかし、スマホとの距離を少し変えてみて気づいたのは、それは単に 「コンテンツを消費させられていただけ」だった、ということです。例えば、テレビのCM中にニュースやSNSアプリを眺めていても、自分の生活を豊かにするような情報は、実はそれほど得られていませんでした。そこにあるのは、小さな画面の中に映し出される「誰かの生活(しかも過剰に演出されたもの)」でしかありません。
以前の私は「ヒマだなあ」、「何をしようかな」と感じる余裕すらありませんでした。そうした時間が生まれる前に、無意識にスマホですべてを埋めてしまっていたからです。
ふと思い出したのが、ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる「時間泥棒」の話です。時間を節約すればするほど、人生から彩りが消えていく物語です。1秒も無駄にせず情報を詰め込むことが「効率的」だと信じ込んでいた私は、実は灰色の男たちに時間を盗まれていただけだったのかもしれません。
けれど、今は違います。「さて、この暇な時間をどう過ごそうか」、「別に何もしなくてもいいし、何かをしてもいい」。 そんなふうに、自分の時間の使い方を自分で決めるという当たり前の感覚を、ひさしぶりに取り戻しました。
結論:デジタルデトックスは「遮断」ではなく「使い方の調整」から
2週間のプチ・デジタルデトックスという実験を経て、今後もしばらくはこのスタイルを続けていこうと思っています。
今回学んだのは、デジタルを完全に断つことではなく、「スマホを使う時間やタイミングを自分の意思で決める」 ということでした。通知によって受動的に「使わされる」のではなく、メールもSNSも、自分が見たい時に見る、使いたい時に使うようにすればそれで十分だと感じます。今では、スマホを「常に手元に置くもの」ではなく、「必要なときに取り出す道具」として扱えるようになりました。

通知も未読バッジもない「静かな時間」が訪れると、最初のうちは、なんだか手持ち無沙汰で、そわそわと、少し落ち着かないかもしれません。しかし、それに慣れてくると、その静かさが心地よく、どこか懐かしく感じられるようになります。
「自分はスマホ依存じゃないし、大丈夫」。そう思っている方にこそ、まずは1週間だけでも、通知をオフにしてみることをお勧めしたいです。みなさんもひさしぶりに「スキマ時間」を味わってみませんか。




